冒頭に最初の手術から1週間後の自撮り画像を載せるつもりだったが、改めて眺めたら死体画像にしか見えなかったのでモザイク処理した。

幼少時から喘息の発作で何度か死にかけたことはあった。そして中年になり、今度は首から下がリアルに死んだが、再び呼び戻された。
2019年1月3日、正月気分で機嫌よく酒を飲み座椅子でうたた寝。夜更けに目を覚まし寝床に入ろうと伸びをした瞬間、胸の中で妙な音が鳴ったと同時に激痛が走る。
「…なんだこれ」
足が攣った時の様な強烈な痛みに胴体全体を支配され、暫し体勢を変えて逃れようとするも一向に痛みが治まる気配がない。
あかん、これ救急車呼ばないと駄目なやつだと自ら声を振り絞り119番。
数分後、救急隊が慌ただしく到着し、救急車に乗せられたところで
「去年は活動二十周年だったし、あちこちに提供した音源もまとめてリリースできたし、死ぬには悪くない時期かもな」と思ったところでブラックアウト。
喉に突っ込まれた人工呼吸器の管の痛みで意識が戻る。
自ら管を引っこ抜いたことで駆け寄って来た看護師に今日の日付を訪ねると
「もう6日ですよ。お帰りなさい」
スタンフォードA型急性大動脈解離。
心臓のすぐ上、弓状になっている大動脈が裂け、その際に外膜、中膜、内膜の三層構造になっている動脈壁の一層と二層の裂け目に勢いよく血液が流れ込んだことで大動脈の内側が腰の下辺りまで一気に解離。
最初の手術では頭部のみにポンプで血を送りながら首から下の血流を一時的に止め、胸を仏壇みたいに開いて裂けた弓部を人工の物に置換。
そして春に受けた二度目の手術ではステントグラフト(ステンレス網と繊維で出来たチューブ)を鼠径部に開けた穴から挿入し、解離した内側を補強。その際、左手に繋がる動脈が構造上どうしても塞がってしまうので、首の動脈から人工血管で左手に血流をバイパスする手術も同時に行われた。
どう見ても初回の手術の方がダメージがでかいのだが、朦朧としていた為か何故か術後に痛みをあまり感じず、それよりも二度目の鼠径部に開けられた穴の方が遥かに痛く「麻酔効いてないって!」と意識が戻るなりICUで大騒ぎ。
二度目の手術では「5%の確率で下半身不随になるかも」と先に告げられていたので、スカルの杖を振り回しながら電動車椅子で若者を追い回して殴打する面白キャラになることも想定していたが、幸い左足の軽い麻痺、そして括約筋の麻痺により排泄し難くなる程度で済んだ。
両肩腱板の血行不良による痛みも残ったが、鬱陶しいのと深夜に痛みで目が覚める程度で日常生活にはさほど影響はない。
あとは日頃服用している降圧剤の副作用による血管痛、原因がよく分からない突発性の眩暈、そして何か作業をすると血圧がすぐに急上昇するので今のところまだ長時間の活動はきびしい状態ではあるが、これら細かい不具合はいずれ軽減すると思うのであまり深刻には考えていない。
ただし重い物を持って力んだり激しい運動をすることは一生禁止されている。
大動脈内はステントグラフトで補強したとは言え、そこから各部位に伸びる動脈は滅茶苦茶なままなので油断は禁物とのこと。
主治医にどれくらいまでの運動ならOKか訪ねると
「ゆっくり歩く程度。何年かして安定しても軽いジョギングまでかな」
「じゃあ筋トレは?」
「筋トレ?(笑)」
笑われた。
そして年明けの緊急手術から十ヶ月、二度目の手術から半年後の現在。
前述した身体のあちこちに残る不具合に日々舌打ちしながらも、どうにか日常生活を送れるようになり、食欲不振から20kg近く減った体重も夏辺りから自炊と晩酌を再開してからは無事に(?)10kgくらい戻り、己のしぶとさと悪運の強さに苦笑している。
とは言え、未だ痛みや眩暈と共にやってくる混乱と虚無感と悪夢が合わさったようなフラッシュバックに度々悩まされてはいるのだが、傷病者らしく憔悴して息を潜めて萎縮しながら生きる事を拒否し、現在は己を楽しませテンションを上げさせることのみに尽力している。拾ってもらった命ではあるが好きなように生きられないのであれば廃人になる方がマシ故に。
再び迎えが訪れるまで俺は俺を楽しませ続ける。それを肯定し応援をしてくれる諸氏には、この愉悦や享楽、新たな興奮を再び共有させて頂きたく思う。
このマイナスからのコンティニューは俺自身と諸氏を楽しませる為のみに使う。まだアクティブに活動できるようになるまで暫らく時間はかかりそうだが、生ある間はフラつきニヤつきながらゆっくりと前進して行くので。
此度、救命と延命に携わってくれた全ての医師と医療スタッフ、行政職員、そして俺が生き延びたことを喜んでくれている友人知人やリスナー諸氏に心から感謝を。
それでは今しばらく、頭のおかしい音楽をお楽しみください。
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- 2019/11/11(月) 03:52:18|
- Text - 雑記
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